ニチレイ75年史
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■新しい社名は、ニチレイ 日本冷蔵という社名はイメージを冷蔵事業に限定させがちで、会社の実態とそぐわなくなっていた。その意識は若い第2部えていた。従業員に強く、「明日のニチレイ」キャンペーンでも社名変更の提言が多く寄せられた。そこで、1973(昭和48)年以来、消費者に認知されている「ニチレイ」の製品ロゴマークや略称としても定着している「ニチレイ」が、新社名に選ばれた。・ Nの原型を留めて判読性を確保しつつ、直線で力強さ、曲線でやわらかさを表現。・ 「V」はVICTORY、VITALITY、VIVIDのVで、勝利を目指す意志を込めた。・「N」の右側が少し長いのは、成長性を表現。 シンボルマークは多くの用途で使われ、リニューアル作業は、商品パッケージはもちろん、看板やユニフォーム、社封筒、包装紙、名刺、伝票など多岐にわたった。さらに社内報も「雪の輪(1958年創刊、第163号(1984年11月発刊で終70※1 文化や独自性を発信し、存在価値を高める企業戦略。当時はカタカナ社名が増※2 社章「雪の輪」も廃し、企業マークとブランドマークを同じマークで表現することにした。1. 「フレッシュ」がキーワード2. 「株式会社ニチレイ」の誕生■日本経済の復活とともに 1983(昭和58)年、スタグフレーションが沈静化し、ようやく米国経済が回復した。折からのドル高とともに、半導体やコンピュータなどの日本産ハイテク製品の輸出が一気に増大し、日本は好景気に包まれ始めた。 同年、当社では金田幸三が社長に就任し、「明日のニチレイ」に向けた第1ステップである前期経営計画に沿って体質改善に取り組み始めた。日本経済が第二次石油危機以来の不況から脱したのと軌を一にして、日本冷蔵は最大の経営危機を乗り越えつつあった。 1985年のプラザ合意で先進5カ国(米国・英国・西ドイツ(現ドイツ)・フランス・日本)が外為市場に協調介入すると日本の輸出産業は円高不況に陥ったが、これを1年半で乗り切り平成景気が到来。経済復調を追い風に、当社は業容・業績を伸ばすことになる。 なお、前期経営計画は1983年4月にスタートしたが、その根底にあったのは「心の満足」というキーワードだった。これは時代を汲み取った表現ではあったが、事業領域を表現するにはやや抽象的であり、もっと直接的に社内外で訴求力を持つ言葉に置き換えられないかとの課題が残されていた。 そして得たキーワードが「フレッシュ」だった。新鮮な食品・食生活、健康な身体や心といった当社が目指す事業領域に当てはまる上、この言葉を使っている企業はないことが分かった。以降、「フレッシュ」が当社事業のキーコンセプトとなった。第5章 1985(昭和60)年~1995(平成7)年新生ニチレイへ■CIと清新なNマーク 1983年10月に置かれた総務部中心の「社名変更プロジェクトチーム」は、翌84年4月、各部署のスタッフも加えた「CI委員会」に改組された。当時の日本では「CI(コーポレートアイデンティティ)※1 導入に際して社名変更」との手法が一般的だったが、当社は「社名変更を機にCIを展開」する形となった。地味で保守的なイメージを打破して社内活性化を図ることが目的だった。 CI委員会がまず手がけたのはシンボルマーク※2 である。外部の専門企業と連携して日本冷蔵に対するイメージを分析すると、「堅実でまじめだが、悪く言えば消極的で保守的。地味で目立たない」「冷蔵と商事の部門間のコミュニケーションが薄い」などの結果が出てきた。そこで「積極的で風通しの良い自由な会社」への変身を企図して、ふさわしいデザインを検討した。 最終的に、シンプルかつ洗練された現在のシンボルマーク「N」とロゴタイプが選ばれ、9月11日の役員会で決定をみた。主なポイントは次のとおりである。

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