ニチレイ75年史
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■経営理念の検討 1981年10月1日、提言に対する淺原社長の返書として「明日のニチレイ」と題する約6,000字の文書が全社員に配布された。それは以下のように締め括られていた。 「(前略)求めぬものは得られないし、望まぬものは遂に実現しないでしょう。人だけが求め、人だけが望むことができるのです。皆さんは『明日のニチレイ』にいろいろのことを求め、望みました。そして自らの誠実に誇りを持ちつつ、さらに前進し成長し躍進しようと決意を表明されました。 (中略) 全役員が先頭に立ち、皆さん方すべての人々と力を合わせ、誇れる事業・伸びる企業・活気ある社風・働きがいのある職場を目指して、『明日のニチレイ』を創りましょう。自らの手で新しい美酒を創造し、そぐわしい新しい皮袋を創るべく全力をあげようではありませんか」 1981年から翌年にかけて提言の整理・分析、さらに経営計画の策定が進められ、その過程で新生ニチレイの経営理念・企業理念が検討された。そして日本社会で求められるものが“物質的豊かさ”から“精神的豊かさ”に変化し、価値が“量”から“質”へと転換していくと認識した当社は、「心の満足」をキーワードに「人々により大きな心の満足をもたらすサービスを提供して成長する企業」というコンセプトを打ち出した。 事業領域に関しても検討が進み、①既存事業分野の強化、②現有経営資源を活用した「冷」と「食」の深耕拡大、③新規事業の開拓、の3つに整理された。「冷力を基盤とする総合食品事業」という社会的使命を引き続き担いつつ、時代の要請に応えて「冷」と「食」を深耕し、新たな事業にもチャレンジしようとするものだった。■前期経営計画の策定 「明日のニチレイ」キャンペーンから2年後の1982年11月、各事業部門長も参画し、新生ニチレイを目指す経営計画が完成する。「明日のニチレイ」が10年後の1990年をターゲットとした長期目標であるため、その基盤を築くものとして「前期経営計画」(1983~1985年度)と名づけられた。その最大の課題は、後期計画に向けた「体質改善」だった。■膨大かつ貴重な提言 1980年12月9日、全社員を対象に「明日のニチレイ」をテーマとする提言募集キャンペーンが始まった。キャンペーンにはグループ参加を含め1,081名から3,710件もの提言が寄せられた。部署別では本社280名、支社・経理室715名、食品工場86名。このうち役職者・主任以外が607名に上った。部門別では管理部門273名、冷凍部門298名、商事部門510名と、全社の各層から幅広い応募があった。経営陣の予想を超える提言数で、その内容も経営や事業の各方面にわたり、意欲的で積極的なものが多かった。 経営トップは、この膨大かつ貴重な提言のすべてに目を件」と題した便箋15枚に及ぶ文書が総合企画室長から役員・役職者に配られた。そこには厳しい事業分析の後、キャンペーンの趣旨と①~④の手順が記されていた。 「(前略)当社のあるべき姿、どんな事業構成になるべきか、このための組織はどんな形が望ましいか等々の大綱、つまりビジョンを描き、これを掲げて行おうとするもので、この間、全社員から広く意見を求めたいというのが本書の趣旨であります。(後略)」①全社員を対象に「明日のニチレイ」という課題で、幅広い自由な発想と簡単な様式により、できるだけ多数の提言を募集する。②項目別に分類し、各項目について提言者や本社関係者で検討し、実現可能なもの、ビジョンに含めるべきものなどを具体的に取りまとめる。③役員会を中心にビジョンを検討し、②の結果を参照、織り込みながら、昭和60年度を目途に当社のあるべき姿を描き、昭和56年度上期~9月の本支社幹部会議でビジョンを合意したい。④合意したビジョンは中期経営計画や事業予算に織り込み、実現を目指す。役員・役職者に送付された文書。「明日のニチレイ」キャンペーンはここから始まった。第2部通した。そしてこれらを経営資源として生かすため、1981年4月、キャンペーン事務局の総合企画室を総合企画部に改組、金田専務を部長に据えて次代を担う社員10人余りとともに対応にあたらせた。68

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