ニチレイ75年史
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■「ホワイトパック」で他社と差別化 市販用では、“一流レストランの味をご家庭で…”のキャッチフレーズで「ホワイトパック」シリーズを上市した。メニューは家庭の食卓で受け入れられやすいポピュラーな「カニクリームコロッケ」「スナックフライ(いか)」「大焼売」「ハンバーグ」にし、味と品質はハイレベルな「レストランパック」を踏襲、高い商品力をアピールした。売場にカラフルなパッケージが増える中、白い箱にコックさんのイラストと“Restaurant Use”の文字を組み合わせたシンプルなデザインは目を引いた。販売面でも当初は宣伝を行わず、ホームパーティー形式で口コミに頼るなど、従来にない手法を展開した。 高品質を誇る「レストランパック」「ホワイトパック」の両シリーズはその後も飲食店と消費者の本物志向に合わせて新商品を発売し、ニチレイブランドを確立していった。冷凍食品部門の売上高は1981年に400億円台に達したが、1980年の経営危機を支える力はまだなく、利益で全社を支えるのは30年以上も後のことになる。■缶詰「サラダ・チキン」のヒット 当社の缶詰事業は石油危機後のスタグフレーションによる資材暴騰で不採算となり、需要が減った魚肉ハム・ソーセージとともに生産を縮小した。1975年に「テンダーツナ」を再発売するも成功せず、翌年販売を止めた。同年発売のサバ缶「ニチレイマック(ドレッシング煮、のちに商標権問題でスターマックと改称)」も、当初は好調ながら1979年に漁獲の都合で生産を中止した。水産物や果実など年1作の原料を使った缶詰は相場リスクに加えて在庫コストもかかり、業績は不安定だった。そこで1980年に缶詰の取扱方針を変更し、ギフト缶詰(カニ・サケなど)、調理缶詰・レトルト食品(スープ、オードブルなど)に集約、販売拠点も東京・大阪・仙台・福岡の各支社と高崎販売所に絞った。 1980年に生まれたのが市販用缶詰の「サラダ・チキン※10 」だった。畜産部で余剰のあった鶏のササミを「とりささみた。コモディティ化と価格競争を避ける差別化戦略、それが1976年発売の業務用「レストランパック」シリーズであり、その市販版として1978年に発売した「ホワイトパック」シリーズだった。 もともと当社は南極観測隊や東京オリンピックへの冷凍食材供給、大阪万博などの大イベントを通して、本格的な冷凍食品を追求してきた。1974年には帝国ホテルと共同出資でインペリアル・キッチンを設立、帝国ホテルブランドで手づくりの高級冷凍食品を発売していた。これらの高級調理冷凍食品の経験が基盤となり、味と調理技術にこだわって開発したのが「レストランパック」シリーズで“Restaurant Use”の表記※8 は高級感を醸し出した。「ホワイトパック」シリーズ第2部商品で健在。64※8 レストランユースシリーズは、現在もレトルトカレーや冷凍食品など、業務用※9 2014年4月、創業40周年を機に社名を株式会社帝国ホテルキッチンに改めた。※10 日本で初めて「サラダ・チキン」の名称で商品化した。レストランパックシリーズcolumnインペリアル・キッチンの設立 当社は1974年1月、株式会社帝国ホテルと共同出資で株式会社インペリアル・キッチン※9 を設立した。前年の業務提携を発展させ、当社は資本金1,000万円のうち7割を出資した(のちに50対50に変更)。同社は帝国ホテルのブランド力と当社の商品力を生かして高級缶詰や高級冷凍食品を発売したが、こうした高級品の取組みは当社の「レストランパック」「ホワイトパック」にもつながった。同社は最上級の味を追求して商品の開発から販売まで一貫して取り組み、当社は主な商品の生産を受託している。 当社は1958年頃から帝国ホテルの株主となり、木村鑛二郎が監査役・取締役を務めた(1960年からは同社会長)。出資は帝国ホテルの経営事情によるもので当社にホテル経営の意図はなかったが、当社と帝国ホテルや犬丸徹三社長との関わりは深く、1964年の東京オリンピックでの冷凍食材活用でも協力して取り組んだ。

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