ニチレイ75年史
87/320

■資本の是正と社債の発行 1950年代半ば以降の増資で、当社の資本金は1962年に67億5,000万円となっていた。その後も増資が必要だったが、1960・61年の事業拡大による資産膨張で財務状況が悪化していたため、当社は資本の蓄積と企業内容の改善に努めた。 不良債権の整理や赤字子会社の整理統合などの緊縮合理化措置により当社の業績と財務状況は年々改善し、1967年からは大型冷蔵倉庫の新増設や食品部門の投資を積極的に進めた。いざなぎ景気にも支えられ、1969年の売上高は615億円を記録、特に商事部門は好調だった。財務状況も安定したことから、当社は増資※44 に踏み切り資本金は90億円に増えた。 社債発行も不況の進行と緊縮策から1962年から66年まで目立つものはなく、発行残高は45億円前後で推移した。だが67年に業績が改善すると起債は19億円と増大※45 。そは横浜・京都・米子の3支社を廃止してそれぞれ東京、大阪、下関の各支社の傘下とした。また食品生産部と食品販売部を統合して食品部としたほか、本社冷凍部の運輸課を廃止して業務を三和船舶(株)に委譲した。 第二は1964年以降の不況下で行った本社機構の圧縮であり、これに伴う工場分離および子会社の整理統合※43 だった。64年は13部・室・所、32課の本社機構を9部・室・所、28課に大幅に縮小した。65年度は冷凍部門で地域子会社の設立が本格化したほか、こうした合理化施策は1966年も続いた。 そして第三は1969年の本社と地方組織の改正だった。当社は68年から再び取扱高が増えたため、本社では商事部門一体化の観点で営業部、食品部、畜産部の3部門を食品第一部、同二部、同三部に改組し、商品開発部を新設した。70年には19部・室・所、34課に拡充した。 地方機構については、69年2月、静岡・下関・長崎の3支社を廃止して業務を東京・福岡支社などに移した。東京支社は東京冷凍部と東京食品部に二分(冷凍支社と営業支社の先駆け)し、船橋食品工場は本社直轄とした。冷凍部門ではエリアを統括して営業活動に役立てる狙いで70年に東京第一・東京第二・阪神・福岡の各冷凍事業所を設置した。の後も長期資金の需要は強く、発行残高は1968年度末の約57億円から69年度末に約64億円に達した。61※43 平方食品(株)、(株)ニチレイエコー、日冷鶏卵市場、会津日冷スター販売(株)を日冷スター販売に吸収合併し、岳南養魚(株)とマルイチ食品(株)を合併させた。※44 1969年、22億5,000万円(4,500万株)を株主に3対1で割り当て、その際に1割を無償交付した。※45 起債市場も自由化されて大型社債の発行が容易になったことも背景。第3章 冷力を基盤とする総合食品会社への道

元のページ  ../index.html#87

このブックを見る