ニチレイ75年史
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■日本冷凍食品協会の設立 1969年7月、冷凍食品の普及、製品の品質向上や規格化を目的として社団法人日本冷凍食品協会が設立された。冷凍食品の普及団体としては社団法人冷凍食品普及協会※36 と社団法人冷凍魚普及協会※37 の2つがあったが、品質や製造工程を会員が自主規制し、業界の秩序ある発展を目指す趣旨で両者が合併した。前身会員の7社に食品メーカー5社、家電メーカー7社と1団体を加えて発足※38 、協会会長には木村鑛二郎が推挙された。この発足は、冷凍食品業界が一定の規模と体制を整えたことを意味した。 同協会は普及活動の一方、1970年には工場の検査格付基準を制定し、各工場は自主検査を始めた。基準を満たした認定工場の製品には協会認定証マークを付与し、品質・入量・規格・衛生管理などが適正である保証とした。また冷凍食品の定義を「前処理を施し、急速凍結をし、零下18℃以下の凍結状態で保存した包装食品をいう」と明確化※39 し、冷凍食品を次の5種類に分類して商品の統計や管理をしやすくした。拡大したものの、赤字体質は依然として当社の経営課題であった。①水産冷凍食品(魚類、エビ類、イカ類、貝類など)②農産冷凍食品(豆類、ミカン類、いも類など)③畜産冷凍食品(鶏肉、牛肉、羊肉、豚肉など)④ 調理冷凍食品(フライ類、コロッケ類、カツ類、ハンバーグ類など)⑤ その他の冷凍食品(プリン、まんじゅう、シュークリームなど)59を満足させられる多彩なメニューが組まれた。当社は冷凍食品普及協会会員と協力、冷凍食材を大量供給した。 オリンピックという大舞台での貴重な経験が当社の業務用商品を進化させ、「ホワイトパック」などの高級商品を展開する礎となった。※36 1959年12月の設立で、会員は大手水産4社(日本水産、大洋漁業、日魯漁業、日本冷蔵)。※37 1964年6月の設立で、会員は大手水産4社に極洋捕鯨(株)、宝幸水産(株)、全※38 2020年12月5日現在の会員数は440社(正会員113社、準会員308社、賛助会員漁連を加えた7社。19社)に及ぶ。※39 従来-15℃以下だった日本の冷凍食品の規格を国際水準に高め、国際的な市場性を持たせた。※40 予想を遥かに上回る2億3,800万円を売り上げ、前年建設の高槻食品工場は万博用の工場と言われた。オリンピック貢献への選手村食堂運営委員からの感謝状万博の食堂「テラス日冷」第3章 冷力を基盤とする総合食品会社への道column東京オリンピックの食を支える 1964年10月10日、東京オリンピック(第18回オリンピック競技会)が始まった。94カ国、7,500人の選手・役員が代々木オリンピック村に集結、報道陣などの関係者も多いため、大量の食事をどうやって提供するかが課題となった。シミュレーションで出た結論は、冷凍食材を基本とする食作りだった。帝国ホテルなどの一流シェフが選抜され、各国の食生活column日本万国博覧会に出店 1970年3月14日、大阪府の千里丘陵を会場として日本万国博覧会(EXPO'70、大阪万博)が開幕した。「人類の進歩と調和」をテーマに77の国と地域が参加し、116の展示館があった。世界各国から人々が集まり、入場者は183日間で6,421万8,770人を記録した。 当社は芙蓉グループのパビリオンで、冷凍食品などの料理を提供する食堂や売店(日冷コーナー)を運営※40 。特に食堂「テラス日冷」は、均質なメニューを迅速に提供して好評だった。column船橋食品工場の重油流出事故 1968年1月31日未明、船橋食品工場ボイラー室から重油が流出する事故が発生した。バルブ故障により約3,700ℓの重油が漏れ、うち約800ℓが排水溝を伝って海苔の養殖海域に流れ込んだ。発見後、直ちに船橋市役所や船橋市漁業協同組合ほか関係先へ通報する一方、バキュームカーによる重油除去や中和剤散布などの応急措置を講じた。 この事故に対して、船橋・行徳・南行徳・浦安第一・浦安町の各漁協は海苔事業への被害の甚大さを県に報告、巨額の損害

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