ニチレイ75年史
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■運輸・貿易・食品事業への取り組み 水産事業を支えたのが冷蔵運輸事業※15 である。戦後、帝国水産統制(株)が発注していた冷凍運搬船4隻(筑前丸/1,161t、相模丸/999t、赤城丸/535t、阿蘇丸/535tでいずれも戦時標準船※16 )が日本冷蔵に引き渡され、帝国水産統制(株)から引き継いだ2隻(海光丸/1,514t、海龍丸/576t)を含め、当社は計6隻を保有していた。これを活用し、例えば陸氷の最需要期には三陸の製氷工場から首都圏に凍氷を運搬し、漁期には逆に漁業基地に運んだ。運輸省の働きかけに応じ、食料の海上輸送にも協力した。1947年には日本水産の要望で「筑前丸」「相模丸」が第2次南氷洋捕鯨船団に参加した。 貿易の再開も早かった。戦前から缶詰などの輸出に取り組んでいたが、1947年にはビンチョウマグロやホタテ貝など45tを輸出し、翌48年には食用ガエルを加えた計157t、2,200万円を輸出した。 食品に関しては、戦中から冷凍の魚・肉・野菜を軍納しており、戦後は進駐軍に納めた。食料難の当時、設備能力に余力があったことから各冷凍工場が副業的に取り組んだのが冷菓事業である。1946年6月、本社に冷菓委員会を設置、各地の工場でシロップ、ミルク、小豆などに甘味料を加えて凍結・製造したもので、果物を入れたものもあった。第2部物価体系を設定した。は、農林省の要請と特別な許可に基づき、北海道沿岸で獲れた春ニシンを凍魚や塩干品などに加工して全国に供給するものだった。1946年2月、本社に鰊本部、現地にも鰊事業本部を設置し、当時保有していた冷凍運搬船で日冷鰊船団を組織してオホーツク海からピストン輸送した。公定価格で統制されていたため利益は薄い上、漁獲量が激減して1949年で事業は打ち切られたが、食料難の時代に魚を供給したことで、当社が水産流通業界で信用を築く要因となった。 同時期に沿岸漁業にも着手している。冷凍保管する貨物が極端に減少していた当時、製氷設備に比べて冷凍設備には余力があった。加工用原料の自給を目的として地区沿岸漁業者とも連携して展開したが、1949年の集排法問題の決着に伴って打ち切りとなった。にしん32※13 大災害等で経済活動が深刻な影響を受けた場合に、法令で預金等の債務の支払いを猶予すること。日本では1923年の関東大震災、1927年の昭和金融恐慌の際にも緊急勅令に基づき実施した。※14 統制解除後、物資は全般的に不足・インフレが激化したため、物価統制令で新※15 帝国水産統制と同様、当社は冷凍運搬船で運輸事業を経営。日本が戦争で船舶の多くを失う中、需要は高かった。1955年に三井船舶と共同出資で三和船舶株式会社を設立(~1994年)、当社の運輸事業を委譲した。※16 戦時中、資材節約と工期短縮が要請され、構造を簡略化して大量建造された規格型船舶。4. 水産事業や運輸事業にも着手■多角的経営の基本方針 日本冷蔵としてスタートしたのは、戦後の混乱期だった。政治や経済の体制が急激に変革される中、政府はインフレ抑制のために1946(昭和21)年2月、金融緊急措置令と日本銀行券預入令を公布。旧円を金融機関に強制的に預入させ、モラトリアム(支払猶予)※13 で預金を封鎖した上で新円切り替えを断行、3月には物価統制令の公布で経済危機を乗り越えようとした。しかし生産増強の施策が伴わないために経済活動は振るわず、かえって混乱と動揺を招いていた。社内では、戦災工場の復旧をはじめ、外地資産の凍結、復員者・引揚者の受け入れ、金融対策など急を要する問題が山積していた。 こうした中、同年1月、木村取締役は「新会社の営業方針について」と題した文書を発信した。それは「まず被災工場の再建に取り組み、多角的経営を目指す」「利潤の追求に陥らずに常に公正さをもって業務に尽力してほしい」という内容だった。これを踏まえて、3月に第1回支社長会議を開催し、改めて多角経営の理念と加工事業進出の必然性などについて議論がなされ、会社再建と経済危機突破のため全社一丸となるよう協力が求められた。■工場・設備を利活用した水産事業 被災工場の復旧を急ぐ一方、当社は各地の冷凍工場や加工場を活用し、水産物や食品に関するさまざまな事業に取り組んだ。 戦後間もない時期は日本の漁業生産高が極度に落ち込んでいた。1945年11月、水産物に対する価格・配給の統制が全面解除されると、魚価は異常に高騰した。そのため政府は1946年3月、「水産物統制令」を公布※14 、翌47年4月には「鮮魚介配給統制規則」「加工水産物配給規則」を制定し、水産物の取り扱いを規制した。当社は世話役となって「社団法人冷凍水産物協会(社団法人日本冷凍食品協会(1969年設立)の前身の一つ)」(理事長:木村鑛二郎)を設立し、冷凍水産物の中央統制を進めた。 そうした中で取り組んだのが春ニシン事業である。これ

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