ニチレイ75年史
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■3つの事業および外地での活動 帝国水産統制(株)は3つの事業を遂行することとされ、その第1が「企業統制関係」、第2が「製氷、冷蔵、冷凍関係」、第3が「水産物の買入及売渡関係」であった。各事業の概要は次のとおりである。計 計 現物出資された船舶はいずれも当時の第一級の大型冷蔵船で、日本水産の「厚生丸」(8,282t)、日魯漁業の「長光丸」(1,794t)ほか8隻(計1万638t)、大洋捕鯨の「第七播州丸」(5,489t)の計11隻、総トン数は2万6,203tであった。評価の結果、合計額は1,806万7,000円となり、不足する3,193万3,000円が各社に按分された。現物出資と現金出資の出資構成は別表のとおりで、日本水産系の出資比率は第2位にとどまったが、買い取りの形が取られた冷凍工場の買収資産を含めた比較では他社を圧した。第1部同様。か、本社直轄の3出張所(大連、昭南、ジャカルタ)に及び、これらの管下に254工場が配置された。 しかし、間もなく空襲が激化して中央での統括が難しくなると、本社機構を3部22課に圧縮し、業務運営に関する権限は大幅に地方部署に委譲した。また、全国を4つの監督区域(西部、中部、東部、北部)に分け、副社長、専務理事がそれぞれ担当することにした。内地の各支社では多くの出張所を設けて非常事態に備えた。外地では、北京支社が華北水産統制協会に現物出資され、また台湾支社が南日本漁業統制株式会社に移行して、それぞれ廃止となった一方、昭南、ジャワ両支社の下に出張所や事務所が新設された。22出資者現物出資5,106,000 日本水産北洋捕鯨日之出漁業高砂漁業共同漁業日本水産系計5,106,000 8,639,000 日魯漁業太平洋漁業北千島水産北日本漁業日本蟹罐詰北洋蟹罐詰日魯漁業系計8,639,000 出資内訳現金出資5,992,000 305,000 130,000 102,000 61,000 6,590,000 245,000 1,628,000 2,238,000 4,660,000 2,035,000 346,000 11,152,000 11,098,000 305,000 130,000 102,000 61,000 11,696,000 8,884,000 日本遠洋底曳網水産組合連合会1,628,000 2,238,000 4,660,000 2,035,000 346,000 19,791,000 出資者林兼商店大洋捕鯨遠洋捕鯨林兼商店系計極洋捕鯨鮎川捕鯨日本鰹鮪釣漁業水産組合三井物産三菱商事その他計合計現物出資4,322,000 4,322,000 18,067,000 31,933,000 50,000,000 出資内訳現金出資5,517,000 5,517,000 4,322,000 61,000 9,900,000 3,052,000 61,000 2,800,000 700,000 1,000,000 1,000,000 8,613,000 61,000 5,578,000 3,052,000 61,000 2,800,000 700,000 1,000,000 1,000,000 8,613,000 (単位:円)出資構成企業統制関係 帝国水産統制(株)が存在したのはわずか2年11カ月で、しかも開業準備に要した期間や戦後の空白期間を除けば実働2年5カ月という、きわめて短期間の活動であった。そのうえ、海洋漁業の企画統制事業に本格的に取り組もうと※8 帝国水産統制株式会社の当時の営業報告書に基づいて、「内地」と表記。以下、※9 帝国水産統制の当時の営業報告書に基づいて、「外地」と表記。以下、同様。■機構 帝国水産統制(株)の本社機構は、社長、副社長、専務理事のもとに8部(人事、総務、経理、企画、運輸、資材、食糧、冷凍)2室(調査、審査)1研究所を置き、その下に40課を配した大規模なものだった。開業時は丸ビルの本社事務所のほかに3つの分室を設けていたが、1943(昭和18)年12月、日本橋の白木屋呉服店5階に一時、各部課をまとめて設置。その後、1944年6月に京橋区湊3丁目のビルに本社事務所を移している。 一方、地方機構の大部分は、日本水産の事業網を引き継ぎ、帝国水産統制に衣替えして出発することになった。その規模は、内地※8 8支社(函館、仙台、東京、名古屋、大阪、下関、戸畑、長崎)、外地※9 4支社(京城、北京、上海、台湾)のほ

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