ニチレイ75年史
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氷の設立は製氷業界における企業合同のはしりとなった。当初は中川佐兵衛が社長を務め、和合英太郎が常務となったが、1909年に英太郎が社長に就任している。 日本製氷は、本所業平にあった機械製氷(株)を第1工場、深川の東京製氷を第2工場とした。1910年1月には資本金を500万円に増資して、第3工場を業平に新設、米国ヨーク社製100t機を導入して生産量の拡大を図り、業界制覇への第一歩を踏み出したのである。また副業として第4工場を築地につくり、サイダー工場とした。1912年に大阪製氷株式会社を合併して第5工場として以降、1917(大正6)年までに計33工場を設置したが、そのうち11工場は1917年中に合併により加えたもので、同年はさらに5工場の設置を計画していた。 日本製氷の業績が好調なことから、同業社が各地に勃興し、1910年ごろからは漁港で小規模な製氷会社の設立ブームが起こっていた。水産業が盛んな日本では、漁港で漁獲物の鮮度を保つために水産氷※14 の供給が不可欠だったためである。ただ、あまりに分立していると経費がかかって氷の安価供給ができなくなるため、合同の必要が起こった。英太郎は同業社間の競争禍を排除しようと努めて合併策をとったため、日本製氷に合併された群小企業は28社を数えたのである。 一方、1911年12月、下関に資本金100万円で「東洋製氷株式会社」が設立された。同社は1915年に東京に進出、深川に日産100tの工場を新設して廉売を開始した。これに対抗して日本製氷は下関に100tの製氷工場を設置するなど、東西の2大製氷会社の間で、激しい商戦が繰り広げられた。11※13 米国フリック社製のアンモニア圧縮冷凍機で、動力は木炭ガスエンジンが使われた。アンモニアガスを圧縮して液化・減圧して気化する繰り返しにより、ゆっくり凍結する緩慢冷凍だった。1973年に森町に寄贈され、同町の指定文化財として管理保管されている。「日本冷凍食品事業発祥之地」記念碑※14 水産氷:漁業などに用いる冷却用氷のこと。これに対して、氷冷蔵庫用や清涼飲料用の氷は「陸氷」と称する。第1章 製氷業の勃興と製氷会社の合従連衡■製氷業界の再編企業合同の時代~「日本製氷」の設立 製氷業界が活況を呈するなか、1907(明治40)年5月、競合関係にあった東京製氷(株)と機械製氷(株)とが合併して、資本金52万5,000円、1日の製氷能力115tという「日本製氷株式会社」が設立された。日露戦争から第一次世界大戦にかけては、企業の大規模化、寡占化が進み、企業の合同、また財閥への産業資本の集中がみられた時期である。日本製column北海道森町の「日本冷凍食品事業発祥之地」記念碑 北海道茅かやべ部郡森町には「日本冷凍食品事業発祥之地」記念碑がある。記念碑と森町文化財に指定されている当時の冷凍機械※13 が森工場の敷地内に所在している。 1920(大正9)年に稼働し、本格的な冷凍事業に成功した森工場は、葛原冷蔵の破綻に伴って北海道拓殖銀行の所有となった。その後、1934(昭和9)年に合同水産工業が買収し、日本食料工業、共同漁業、日本水産と所有が変わり、帝国水産統制株式会社を経て日本冷蔵が経営するに至った。 1969年、森工場は創設50周年を期して大改修を実施することになり、旧設備は取り壊されることになった。しかし、ここを冷凍事業発祥の地として永く記念しようと「冷凍食品事業発祥の地記念碑建立期成会」が設けられ、同年9月、その除幕式が行われた。以下は、記念碑に刻まれた日本冷蔵(当時)の朝長嚴社長の撰文である。「思えば今を去る五十年前、此処北海道噴火湾の海潮を見はるかす森町の一角に、アメリカ人技師ハワード・ゼンクス氏設計監督による本格的凍結設備を有する冷蔵庫が操業を開始した。時に大正九年八月二十五日、わが国における冷凍食品事業の嚆矢をなす壮挙である。 先覚者葛原猪平翁の半世紀を貫く遺志は、今や低温流通機構の開花を迎えんとして、なお鮮烈に生きつづけている。日本人の食生活に一大変革をもたらす冷凍事業の進展は、今後さらに期してまつべきである。われらの前途に課せられた責務もまた重大であらう。日本冷凍食品事業の草創ここに五十年を画するにあたり、永遠に顕彰すべき先達の偉業を偲びつつ未来への飛躍と努力を誓うものである。」(原文のまま)column1917年時点の製氷業界を俯瞰 1917(大正6)年時点の国内製氷業界は、日本製氷の規模が最大で、東洋製氷、龍紋氷室、横濱冷蔵、土佐製氷、日本冷蔵などが続き、そのほか、各地に小さな製氷会社が散在した。全国での1日の製氷能力は約2,500tで、そのうち日本製氷が約900t、東洋製氷が約750tと、両社で3分の2を占めるに至った。 地域別では、需要の最も多い東京が、4会社8工場の製氷能力が1日585tと全国のおよそ4分の1を占めた。次いで多いのはトロール船の停泊所である下関で、日本製氷と東洋製

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