ニチレイ75年史
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■天然氷と機械氷の販売合戦天然氷と機械氷の熾烈な販売競争 東京製氷が機械氷の販売を開始したころから、天然氷と機械氷の両陣営による販売競争が激化し、両者は新聞広告やビラ配布などでネガティブ・キャンペーンを繰り広げた。 機械氷陣営は、「天然氷には目に見えない汚物が混合している」「野蛮なもの」などと痛烈に批判。一方、天然氷陣営は「根拠のない話で天然氷の信用を傷つけようとしている」と反論。堀を採氷場として利用する際に内務省衛生局の試験を通過しており、さらに警視庁の販売許可をもらっていることなどを理由に、安全性をアピールした。そして、天然氷陣営が「人工氷は薬品を使用している有害品」と言い広めたため、機械氷のイメージは一気に悪化し、販売に苦戦した。しかし、製氷工場前に機械氷を積んで、通りかかる児童に使ってもらうなど宣伝に努めた結果、機械氷に対する評価は高まり始め、機械氷の価格は天然氷に比べて1割近く安かったこともあり、徐々にシェアを増やしたのである。■中川嘉兵衛、山田啓助ともに機械氷へと転換「機械製氷株式会社」の設立 1890(明治23)年には、工学博士である西川虎之助が渋沢栄一、大倉喜八郎、浅野総一郎ら財界メンバーを株主として、「青山製氷所」(資本金3万円)を設立した。設立と同時に、のちに“製氷業界のドン”とも“日本の製氷王”とも呼ばれる和合英太郎※9 が入社しているが、同社の経営は苦しく、1892年に廃業した。 一方、機械製氷時代の到来を見越した中川嘉兵衛は、機械製氷会社の設立準備を進めていたが、設立直前に死去。79歳だった。1897年、嘉兵衛の子息である佐兵衛を筆頭に、西川虎之助、漆昌厳、長谷川要之助、茂居藤作らによって、「機械製氷株式会社」(資本金30万円)が東京本所に設立された。青山製氷所で働いた経験から、製氷業に関心を持った和合英太郎も発起人のひとりとして参画している。 このころから、能力5~20t程度の小規模な製氷工場が、横浜、静岡、名古屋、豊橋、京都、神戸、岡山、広島、下関、小倉、熊本などの主要都市に建設されていた。当時、全国の製氷能力は1日150tほどに過ぎないなか、機械製氷(株)の工場には英国製のアンモニア式蒸溜水製氷機で日産50雌雄を決した「花氷」 1887(明治20)年、天然氷と機械氷のターニングポイントとなる出来事があった。皇太子殿下(のちの大正天皇)が東京製氷の築地工場を見学し、明治天皇へのお土産として、当時、大変珍重されていた「花氷」を持ち帰られた。置するなどして、機械氷の販売を開始した。しかし、天然氷よりも劣るとの誤解から、売れ行きは悪く、その需要喚起にはずいぶんと苦心したという。 ニチレイグループのルーツのひとつである東京製氷は、その後、合併を繰り返しながら日本の製氷業界を代表する企業に成長していった。第1部 その後、東京製氷は宮内省に献上する花氷専用の製氷タンクを設置し、同省の御用指定工場となった。そして、「宮中に納入する氷は機械氷に限る」との告示が出たことが、天然氷に大きな打撃を与えたのである。 「氷の芸術」とも称される花氷は、いまでも結婚式などのイベントで飾られることが多いが、2012(平成24)年ごろまでニチレイ・ロジスティクス関西の西京物流センターの製氷室で製造されていた。奈良県の氷室神社で毎年5月1日に行われる献氷祭に献氷していたが、現在は停止している。 こうして機械氷の生産が増えるに従って、天然氷販売の勢いはだんだん衰えていったが、追い打ちをかけたのがコレラや赤痢の流行であった。人々の衛生に対する意識の高まりが転換点となり、天然氷と機械氷の販売合戦は収束に向かう。さらに、明治時代後半から、都市部の富裕な家庭を中心に氷の塊を入れて庫内を冷やす冷蔵庫(氷冷蔵庫)が普及し始めたことで、氷の需要は増加の一途をたどった。8※9 和合英太郎(わごう えいたろう)のプロフィール:1869(明治2)年8月15日、広島藩士の家に生まれる。3歳のとき、秩禄処分により一家は禄を失い、いわゆる士族受難の時代に成長した。1888年に上京し、少年たちに英語を教えて学費を得ながら、英国人について語学を修め、また数学や理化学などを独学で勉強したという。1890年に青山製氷所に入社し、事務を執るかたわら工場監督となった。同社廃業後は輸入機械商や電気機械商に勤めていたが、機械製氷(株)の設立に参画。以後、頭角を現し、1919(大正8)年から日東製氷の社長、1928(昭和3)年から大日本製氷の社長を歴任。日本冷凍協会の初代会長を1933年4月まで務める。1939年6月11日、69歳で死去。没後、生前の功績によって従六位に叙されている。column機械製氷は神様に失礼? 産業革命が進行していた欧米においても、製氷業は工業化が遅れた分野で、機械氷への批判も多かった。「天然氷は、至善の神により、冷たさを人間に与えたものである。人類が氷を人工的に作り出すことは、神への冒涜である」という観念が根強かったことが原因であった。

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