ニチレイ75年史
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 夏の暑い盛りに冷たいものを口にしたくなるのは、古今東西変わらない。冷蔵庫などない時代の「冷たいもの」「冷たくするもの」といえば氷で、それは大変貴重だった。 たとえば、世界四大文明の1つ、メソポタミアのマリ(現 シリア・アラブ共和国のテルハリリ)では、約4,000年前に富裕層の飲み物を冷やす氷を供給したという貯氷庫が発掘されている。また、中国最古の詩集『詩経 国風』には周族の農事暦にまつわる民謡が収められ、冬に氷を集めて蓄え、春に儀礼に用いる習わしが謳われている。 一方、日本で氷が利用されるようになったのは、およそ1600年前のことだった。『日本書紀』には、氷室の起源として次のような記載がある。4世紀のある夏、仁徳天皇の弟、額和の闘鶏野(都介野)で猟をしていたとき、野原にしきょうこくふうつげのぬかたのおおなかつひこのみこと田大仲彦命が大室のようなものを発見した。同行していた村長のつげのいなぎおおやまぬしのみこと闘鶏稲置大山主命に尋ねると、氷室であるとの答えだった。額田大仲彦命がその氷を持ち帰って天皇に献上したところ、大変喜ばれたため、それ以降、冬の間に氷を蓄え、春になったら室から出し、朝廷に献上するようになったという。これにちなんで、6月1日(旧暦)は賜 奈良県天理市福住にある氷室神社では、氷の神様として仁徳天皇(大額田大仲彦命を祀ってある。社伝によると、5世紀、いんぎょう允恭天皇の時代に創建されたといい、付近の小高い丘には天然の冷蔵庫・氷室跡といわれる大きな凹地が何カ所か残っている。氷室神社一帯はふくずみこおりいけのみや福住氷池の宮あるいは都て皇室の御領となった後、平城京への遷都とともに春日野に勧請鎮祀され、平城氷室神社となった。しひょうせつおおささぎのみことつげ氷節と名づけられた。鷦鷯命)、闘鶏稲置大山主命、■氷室、福住氷室と称し2氷の昔話 氷室と献上氷プロローグ

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