ニチレイ75年史
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●海外での調達力と最適加工の強化 畜産品などの一次品は、一般に市況の影響を受けやすく、安定した取引の形成には困難が伴った。 1985年のプラザ合意以降、急速な円高による輸入品の増加が続いたが、これを決定づけたのは1991(平成3)年の牛肉の輸入自由化だった。バブル経済崩壊後の価格破壊の潮流とも重なって、取扱数量は増えても取扱金額が増えないという厳しい状況が生まれていたのである。 こうしたなか、「明日のニチレイ」以降の事業再構築で、畜産事業に求められたのは、利益を生み出す加工品部門の育成と、食肉部門の基盤形成だった。そのため、需要家と密に情報交換を行い、商品開発も含めて需要家と一体となった営業スタイルを培い、輸入調達先の開拓にもさらに力を注いだ。また、冷凍からチルドへの動きなどにもいち早く対応したこと、荷受けとして流通業に徹したことも実績を伸ばす要因となった。 輸入調達先の開拓については、1977年にタイ産鶏肉の取り扱いを本格化して以降、翌年、中国産鶏肉の取り扱いを開始し、1984年に米国にサンハスカー・フーズを設立し●こだわり素材の開発~持続可能な循環型システムの構築へ 当社は2005年に持株会社体制へ移行し、畜産事業は水産事業とともにニチレイフレッシュに統合した。同社は「おいしさ」「安全」「安心」を基本に、畜産品では「健康」と「環境にやさしい」、水産品では「鮮度」をキーワードとした「こだわり素材」の開発を加速することとなった。その過程で、飼料や飼育環境にこだわった食肉生産のため、川上領域での事業拡大を目指したのである。 例えば、2004年に販売開始となったFA※2 チキンは、ワクチンは使用しても、一般的なブロイラーの養鶏で用いられる抗生物質や合成抗菌剤などの薬剤は一切使用せず、て焼き鳥などの加工品や牛タンなどの生産を開始している。1991年にはタイで焼き鳥やから揚げ、チキンステーキなどの加工品の生産・販売を開始するなど、調達国の多様化を図った。 1996年には米国で現地企業との合弁でシンプロット・ミート・プロダクトを設立し、牛肉の安定調達を目指した。 一方で、販売・流通形態の変化への対応も求められた。ブロイラーは屠体流通から解体流通に、食肉も枝肉からボックスミート、さらにはトレイパックへと、消費者が選びやすく買いやすい形態へと変わっていった。 そのため、1993年に船橋プロセスセンター(精肉加工場)を設置し、主に量販店向けのアウトパック事業を開始した。1996年に稼働した川越プロセスセンターでチルド総菜用半加工品の生産・販売を開始。翌97年にも横浜南プロセスセンターを開設するなど、加工拠点の整備に取り組んだ。200200,000150,000100,000(百万円)250,00050,00019848586087888990919293949596979899ヒット商品となった「からあげクン」畜産事業の売上高の推移

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