ニチレイ75年史
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ション方式での事業運営は見直しを迫られた。飼料から始める川上事業からは撤退し、食肉と加工品の販売という川下事業に軸足を移すという事業方針の転換を行ったのである。 そのため、1965年に鶏卵販売事業から撤退し、鎌ヶ谷畜産試験所も1967年に廃止した。飼料事業は形態を変えて一部継承したが、基本的には撤収の方向※1 に向かった。代わって、全国何カ所かにブロイラー処理場を設けてブロイラーの加工販売事業を強化するとともに、特に東欧諸国からの輸入品の取り扱いに注力した。日冷農産工業でのブロイラー処理 一方、食肉の取り扱いも本格化した。1972年にはわが国の豚肉の年間供給量が100万tを超え、1978年には鶏肉が同100万t、牛肉が同50万tを超えた。ただ、この間に起こった第一次石油危機による市場の混乱や販売競争の激化から厳しい対応を迫られた。畜産事業もまた「明日のニチレイ」へとつながる曲がり角に立っていたのである。ブロイラーの取り扱いこそ業界シェア約10%と大手の一角を占めたものの、豚肉、牛肉はまだ微々たる存在でしかなかったのが実情だった。 そうした苦境に活路を見出したのが、畜産加工品だった。1979年に畜産加工品課を設置し、加工品販売を開始した。また、1961年に傘下に収めて以来、赤字経営が続いていた千葉畜産工業の再建に努め、同社で新たにニチレイブランドのハム類を委託生産した。これは、1988年の西ドイツ(現 ドイツ)のルッツ社との技術提携による「Lutz」ブランドの生産・販売へとつながるが、千葉畜産工業の立て直しは難しく、ハム・ソーセージ類は畜産加工品の主力商品には育たなかった。 代わってヒット商品となったのが、1983年に発売した鶏肉加工品「からあげクン」だった。以前から手がけていた焼き鳥も、1981年から輸入販売に切り替えて大量供給を可能にしたことで、居酒屋チェーンなど外食市場への拡販に成功、利益を生み出す商品となった。さらに、1983年に資本参加したショクレイ(千葉市)を拠点にとんカツ(パン粉付け冷凍)の生産・販売を拡大し、これも外食産業やスーパーの総菜向けに売り上げを伸ばし、畜産加工品を軌道に乗せたのである。199636465666768697071727374757677787980ロースハムやスモークハム事業編818283(年度)

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