ニチレイ75年史
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●畜産事業の開始~インテグレーション方式を指向 2021年3月期における畜産事業の売上高は840億9,900万円で、全社売上高5,727億5,700万円の14%を占めている。だが歴史的に見ると、水産事業が帝国水産統制を継承していたのに対して、畜産事業は“新規事業”であった。 1955年に「総合食品企業」となる目標を掲げた当社が、新しい分野への進出を模索する中で着目したのが畜産だった。1956年に農畜産課を設置し、オーストラリア産牛肉を輸入したのが、畜産事業の始まりである。翌年、ニュージーランドからまとまった量の牛肉を輸入した実績が買われ、1958年に開始された輸入牛肉の外貨割当制度で、当社は指定商社に認定された。 食生活の欧米化が進み、畜産物の需要が急速に拡大していた1960年には特産部(後の畜産部)を新設し、米国で発達していたインテグレーション方式を取り入れたビジネスに取り組み始めた。これは、まず飼料の生産工場をベースに種鶏場を設けてひよこになるまで育て、生産者に販売。今度は生産者が育成した成鶏を仕入れ、加工して販売するという方式である。 日本で鶏肉が一般に広まるのは、ブロイラー生産が本格化する1965年以降のこと。それよりも数年早く事業に乗り●事業方針の転換~畜産加工品に活路を求める しかし、畜産事業には莫大なコストがかかる。さらに景気後退のあおりも受け、1960年代半ばにインテグレー出した背景には、米国視察を通して畜産業の工業生産的実態を学び、日本でもその方向に進むという見通しがあったからだった。 1960年に日冷農産工業を設立して配合飼料の生産・販売を開始する一方、回転鶏舎や養豚場を備えた鎌ヶ谷試験所(1963年に東京研究所の鎌ヶ谷分室と特産部の鎌ヶ谷畜産試験所に分割)を設置し、育種や品種改良にも取り組んだ。また、1961年に鶏卵販売事業を開始し、1962年には芝浦食鳥処理場(1963年に明石町食鳥販売所に改称・移転)を設置し、食鳥の加工処理を本格化した。198200,000150,000100,000(百万円)250,00050,000001947484950515253545556575859606162畜産事業の売上高の推移配合飼料製造工程産地から食卓まで食肉をトータルコーディネート畜産事業

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