ニチレイ75年史
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●水産事業再生プランによる事業の再構築 2005年に当社が持株会社体制に移行した際、水産事業は畜産事業と統合してニチレイフレッシュとなった。これを機に、水産事業はより市況の影響を受けにくく安定した利益が獲得できる体質への改善を目指して、①小売や生協、惣菜、外食産業といった川下の業態への販売強化、②高品質の「こだわり水産品」をベースに、お客様が扱いやすい規格の加工品の開発・販売に注力、③海外の川下業態に向けても販売強化、の3つに取り組むこととした。しかし、●各種施策に取り組むが魚離れは止まらず しかし、水産事業を取り巻く環境の厳しさは変わらず、売上高は減少基調で、収益を生み出しにくい状況が続いた。バブル崩壊後は長期にわたる消費不況から供給過剰が続き、魚価も低迷した。 供給過剰は、供給源の多様化や養殖が増えたこと、端境をはじめ、大きな比重を占めていた輸入タコが品薄から暴騰、そして暴落し、損失を被った。最大の痛手となったのが、アラスカ産ベニサケのクレーム発生による巨額損失の発生だった。現地における加工・凍結処理の不手際から鮮度が落ちるという致命的な問題が生じ、大量の不良品処分への出費を余儀なくされた。そのため、リストラを含む改革を断行、水産事業の立て直しを図った。 そこで生み出されたのが、従来の業務運営の方式を大きく変える「新移受管(移管と受管)管理システム」だった。それまで水産部門では仕入れのすべては本社主導であり、支社は販売に専任していた。これを当事者が自覚と責任をもって事に当たることを打ち出し、支社はその責任で魚種、数量、価格などを決めて調達を本社に依頼し、検査要員も支社から派遣するという、主客を逆転させたシステムに変更したのである。 このほか、厳しいリストラ、事業所の集約・整理などを実施し、存続の危機を脱した水産部門は、事業環境の好転にも助けられ、1984年には過去最大の利益を生み出し復活を遂げた。また、危機を招いた大きな原因が品質であった反省から、以降、水産部門の運営施策に品質第一主義がうたわれるようになった。水産事業の売上高の推移期がなくなったことなどによるが、国内の商流にも大きな変化が生じていた。川上に属する当社の得意先は、1980年代後半まで中央卸売市場や問屋、地方の加工業者の3つが主力だったが、その後、量販店や生協関係などの直接取引の占める割合が高くなった。供給が過剰になる中で直接取引が多くなると、質の高さが求められ、当社の品質第一主義が得意先から高く評価されるようになる。 輸入源の多様化については、いち早く海外基地の確保、買付機能および現地サプライヤーとの関係を強化した。1988年に東南アジアのエビの輸入を本格的に開始したほか、1992年に取り扱いを開始したノルウェー産アトランティックサーモンは、1996年、その輸入と日本国内での普及定着への実績が評価され、同国王から金田会長が功労勲章騎士一等を授与された。 また、1991年には本社に水産加工品部を設置して、煮魚や焼き魚など加熱加工品の生産に着手するなど、さまざまな施策を進めたが、冷凍食品の消費増加や畜産品の低価格化による魚離れは加速していった。194200,000150,000100,000(百万円)250,00050,00019848586087888990919293949596979899

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