ニチレイ75年史
219/320

●石油危機と200カイリ問題と消費者の“魚離れ” 世界一の漁獲高を誇った日本の水産業も、1970年代に入ると転換期を迎えた。石油危機と200カイリ漁業専管水域の設定への流れは、遠洋漁業のコストを押し上げただけでなく、漁場そのものが制限されることになり、遠洋トロール漁業は縮小から撤退への道をたどった。当社の遠洋漁業関連事業は、系列会社あるいは業務提携を中心に展開していたため、直接的な影響は軽微だったが、関連漁業会社のダメージは小さくはなく、数年のうちに整理・統合することとなった。 また遠洋漁業の衰退とともに、水産物の輸入が年を追うごとに増加した。当社の本格的な水産物輸入は、1969年、スペインからのアフリカ産タコに始まるが、新たな輸入環境の到来に態勢を整えて輸入業務を本格化したのは1975年だった。この年、関連会社による南方および北方トロール漁業を中止する一方、ブラジルから冷凍クジラ肉、エビの輸入を開始。これを皮切りに、毎年、輸入品目を増やしていった。1977年にアラスカ産タラバガニ、1978年にアラスカ産筋子、スペイン産ナガスクジラ、1979年にカナダ産数の子、アラスカ産ベニサケな●最大の経営危機に直面し大改革を断行 もともと自然条件に左右されやすい水産物の取り扱いには投機性が伴うが、魚価の乱高下に巻き込まれ、水産部門は1980年に20数億円という巨額の損失を計上した。当社は最大の経営危機に直面し、これを契機として「明日のニチレイ」キャンペーンにつながることになる。 ただ、巨額損失の計上には、いくつかの不運も重なった。まず1979年に得意先に4億円余の貸し倒れが発生したのど、買い付けあるいは生産・販売事業に乗り出している。 しかし、石油危機から200カイリという漁業規制時代を迎えた水産業界は、“魚離れ”という厳しい事態に直面した。石油危機は諸物価を押し上げたが、中でも漁労コストを転嫁した魚価の高騰は食品の中で際立っており、食の洋風化が進んでいたことも手伝って、次第に魚は食卓から敬遠されるようになった。これに拍車をかけたのが、200カイリ時代の到来による水産会社、商社による買い付け競争だった。魚価はさらに高騰し、魚転がしなどの不祥事も加わり、消費者の魚離れが加速、その後、相場は長期低迷を続けることになった。193636465666768697071727374757677787980「ししゃも」のポスター「アラスカ産タラバガニ」のポスター事業編818283(年度)

元のページ  ../index.html#219

このブックを見る