ニチレイ75年史
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●ニチレイの祖業の一つとして独自の水産事業を展開 2021年3月期における水産事業の売上高は630億9,500万円で、全社売上高5,727億5,700万円の11%となった。1980年代までは全社売上高に占める割合は概ね40%台で、過半に達することもあったが、1990年度に34.7%、2000年度に27.7%、2010年度に15.3%と相対的に低下し、当社の業態の変化を端的に示した。 水産事業は祖業の一つであり、当社は長い間、宝幸水産、極洋、日魯漁業、日本水産、大洋漁業とともに大手水産6社を形成してきた。ただ、他の大手水産とは決定的に異なる点があった。帝国水産統制の後継企業として日本冷蔵が発足するにあたり、漁業を直接自営しないことを表明、従って、漁労部門を保有せず、買い付けに特化した点に特色があった。 このことが、早くから海外事業に目を向ける契機となった。1950年代半ばに米領サモアに中継基地を設け、マグロ漁船団を編成して漁獲物の一括買い付けを行い、缶詰原料として輸出した。これが日本の海外基地貿易の先駆けになるとともに、マグロの一船買いの原形となった。その後、海外基地事業は、ブラジル、ラスパルマス、セントマーチン、ギアナなどに展開した。今日に継承されるものは少ないが、これらの事業を通じて得たノウハウは大きいものがあった。 国内では、戦後、沿岸漁獲物の集荷・加工販売、荷受事業から始まった水産事業は、1950年代に入ると沿岸、沖合漁業の買い付けと大衆魚の加工販売に力を入れ、有力漁業者と提携して受託物の販売へと進んだ。1950年代半ばからはトロール漁が盛んになったが、漁労部門を持たない当社は遠洋漁業の拡大に対応するため、業務提携、共同出資などにより、トロール漁獲物の確保、取扱高の拡充に努めた。 一方で水産加工品にも注力し、1968年には「味つけたこ」が大ヒットし、続いて、「味つけたら」「干しししゃも」など乾燥食品の開発を進めた結果、一時期は水産加工品が水産部門全取扱高の30%を占めるまでに比重が高まったことがあった。192200,000150,000100,000(百万円)250,00050,000001947484950515253545556575859606162水産事業の売上高の推移タコ加工品と発売当時のPOP幾度かの危機を乗り越えて~新たな価値創出に挑戦水産事業

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