ニチレイ75年史
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●発足以来の中核事業として 当事業部門は、1991年の中期経営計画「FCプログラム」始動にあたって行われた組織の大幅改編により、「低温物流」という名称に改められたが、それまでは長く「冷凍業(冷蔵部門・製氷部門)」あるいは「冷凍部門」と称されてきた。 帝国水産統制から継承した冷凍工場(主に製氷工場)をもって始まった冷凍部門は、当社の祖業の一つであり、日本冷蔵が経営の基本とした「冷力を基礎とする総合食品事業」を中核事業として支える役割を果たしてきた。 売上高構成比をみると、製氷部門が突出していた戦後の一時期は水産事業を上回っていたが、その比率は段々と小さくなった。商事部門が大きく伸びた1960年代半ばには20%を割り、さらにバブル経済期には10%を切るまで相対的に低下した。その後、物流ネットワーク事業の伸長など業容を拡大していき、2009年度にはグループ全体売上高の3割を超えた。2021年3月期の低温物流事業の売上高は2,123億円で、全社売上高5,727億円の37%を占める。また、冷蔵倉庫庫腹シェアは国内で約10%を占めて第1位(2020年4月現在)、世界でも第6位(2020年4月現在)となっている。●利益を生み出した製氷部門 当社創立から1960年代半ばごろまでは、冷凍事業における利益の大部分を生み出したのは製氷部門だった。 製氷は陸上氷と水産氷に大別される。陸上氷は飲食店など業務用向けや、氷冷蔵庫などの家庭用向けで、その流通は市中の氷販売店が担っていた。他方、水産氷は魚の鮮度を維持するために使用される氷で、漁船向けあるいは陸上輸送・保冷用に使われた。そのため、全国の主な漁港に当社の製氷工場があり、その数は1950年代から1960年代半ばの最盛期に百数十カ所を数えた。漁港に立地する大規模な工場としては焼津と下関が双璧だったが、1日当たり約800tもの水産氷を販売したという。 この氷の需要も、電気冷蔵庫の普及とともに減少していった。全国の冷凍設備能力の推移をみると、戦後一貫して高い伸びを示した製氷能力は、1962年(3万957t)をピークに下降線を描いた。当社においても同様で、同年、184200,000150,000100,000(百万円)250,00050,000001947484950515253545556575859606162低温物流事業の売上高の推移焼津工場「選ばれつづける仕事。」で世界の食を支える低温物流事業

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