ニチレイ75年史
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●常識を打ち破った商品が続々と誕生した1990年代 常識にとらわれない商品開発を進め、エポックメイキングな商品を多数生み出したのが1990年代だった。1991年に発売した「焼おにぎり」は、ホクレン農業協同組合連合会との提携によりこだわりの北海道産米を使い、しょ満足」を企業コンセプトに新たな歩みを始めた。同年、男女雇用機会均等法が制定され、家事の時短ニーズが高まり、冷凍食品の簡便さが改めて注目される中、冷凍食品の先駆者として生活者のニーズに応える商品を続々と生み出し、冷凍食品を一気に浸透・拡大させていった。冷凍食品の国内消費量は1986年に100万tを超え、200万tを超えるのは10年後の1996年のことになる。 家庭用冷凍食品市場が成長したことで、当社は業界に先駆けてマーケティング手法を取り入れ、今日では当たり前となったターゲットの明確化やコンセプトの細分化などを行った。 その発信の場として、1985年から開始したのが、新商品発表会だった。同年のテーマは、「TRY IT NICHIREI」。この年に大ヒットした「チキンナゲット」は、「24時間いつでも食べられる」がコンセプトの「24hr.」シリーズの1つだった。 翌86年のテーマは「FOR THE NEXT NICHIREI」で、お弁当シリーズを発売、中高生や幼稚園児向けとターゲットをさらに細分化した商品を揃えた。その後も毎年、新しい時代に沿ったコンセプトを打ち出し、ヒット商品を生み続けたのである。幼稚園のお弁当シリーズ 業務用冷凍食品では、1986年、コンビニレジ横のホットフードとして現在も親しまれている、ローソン「からあげクン」が登場した。これは、得意先との強力な連携のもとに新商品開発を行う、業務用冷凍食品ならではの営業スタイル「提案営業」を代表する商品となった。業務用では、惣菜売り場のバックヤードや外食産業など、それぞれの調理器具やオペレーションに合わせた加工度や味付け等の商品スペックが求められるため、当社の高度な商品開発力を基盤とした商品提案が強みを発揮したのである。 また、1987年、業務用商品として発売した「原宿ドッグ」は、ネーミングの妙に加え給食でも好評を得て大ヒットを記録した。その後、1989年には、家庭用商品としても発売し、原宿駅前で撮影したCMとともに話題になった。 一方、円高や輸入自由化もあり、1980年代は、海外からの商品調達に注力した。1988年にタイでスラポン・ニチレイ食品、中国で上海日冷食品、さらに1993年に山東日冷食品を設立し、グローバルな供給体制づくりに努めた。また1980年代に新規スタートしたアセロラ事業では、1991年にニチレイ・ブラジル農産(ブラジル)を設立し、アセロラ原料の集荷を開始した。17920000102030405060708091011121314151617事業編181920(年度)

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