ニチレイ75年史
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●外食産業の隆盛で業務用ニーズが増加した1970年代 東京五輪に続いて、1970年には大阪万博が開催され、当社は食堂「テラス日冷」を出店し、冷凍食品を使ったハンバーグなどを提供した。万博をきっかけに、冷凍で常備し、来客に応じて調理、提供するオペレーションが確立したことから、外食産業が盛んになる。1970年代には海外のファミリーレストランやファストフード店が日本に上陸し、業務用需要が増加の一途となった。1976年には街中の小型レストラン向けの「レストランパック」シリーズを発売した。 家庭用でも種類の増加に伴って、1974年に包装デザインを「グリーンベルト」に統一し、ブランド化を図った。1978年には「レストランパック」の家庭版として「ホワイトパック」シリーズを発売したところ、レストラン並みの高品質な洋食が家庭で味わえると人気になった。「ホワイトパック」シリーズは、当社が冷凍食品におけるメーカー志向を明確に打ち出した商品であり、その成功によって、「品質のニチレイ」のイメージが定着することとなった。●食の多様化・外部化が進んだ1980年代 1985年に日本冷蔵から現社名に変更した当社は、「心の当にGood!」シリーズとして、今も愛され続けるロングセラー商品となっている。 生産部門もこれに呼応して、1969年に日本で最初の冷凍食品自動化専門工場である高槻食品工場を新設するなど、1970年代にかけて生産力の強化が進んだ。販売面でも、1967年に神奈川スター販売、福岡日冷スター販売を設立したのをはじめ、1966年から1968年にかけて全国16カ所に販売所を開設、供給体制を固めた。こうした開発・生産・販売を側面から支えたのが、カラーテレビの普及に伴う宣伝活動だった。加工食品事業の売上高の推移 冷凍食品の売上高は1970年度に100億円の大台に乗せ、1973年度に200億円台、1976年度に300億円台と順調に伸び、この年度に初めて単年度決算で黒字に転じた。400億円台を記録するのは1981年度のことだった。 なお、冷凍食品以外の加工食品のうち、缶詰事業は1948年に再開し、1953年ごろに水産原料を使った缶詰事業が軌道に乗ったが、1970年代後半からは高価な贈答用缶詰や調理缶詰に集約し、生産・販売両面で整理を進めた。1978年に外食産業向けに各種カレーやソースの大型缶詰と大型レトルト食品を「FS(Foods System)」ブランドで発売し、翌年、「コックさんマーク&Restaurant Use」ブランド(通称レストランパック、冷凍食品と同一デザインに統一)に切り替えて業務用に本格参入した。品質と味で高い評価を得たことで、1982年にふかひれスープをはじめとした「中華スープ」シリーズ、「グルメソース」シリーズなど一気に23品を発売し家庭用レトルト食品市場に参入した。178200,000150,000100,000(百万円)250,00050,00019848586087888990919293949596979899FSシリーズの大型缶詰のおでん

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