ニチレイ75年史
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●人気の5大品目が定着した1960年代 1964年に開催された東京五輪では、5,000人を超える各国選手団へ提供する食材の調達が課題となり、そこで着目されたのが冷凍食材だった。依頼を受けた当社は、選手村食堂の料理長・村上信夫シェフ(後の帝国ホテル初代総料理長)とともに、野菜などの冷凍・解凍試験を繰り返し、質の高い冷凍食材を大量に選手村に納品した。 この五輪をきっかけに品質も評判も上がった冷凍食品は、ホテル業界や外食産業に浸透していくことになる。 また、1963年に大手スーパーマーケットが冷凍食品売り場を開設、1969年には社団法人日本冷凍食品協会が設立され、この頃に冷凍食品が業界としての一定の規模・体制を整えたことがわかる。当社の冷凍食品の売上高も1969年度は68億円強と前年度の2.7倍に増え、全社売上比も11%に上昇した。 1960年代後半には、家庭用の冷凍冷蔵庫の普及が進んだことから、「コロッケ」「ハンバーグ」「シューマイ」「ギョーザ」「エビフライ」の5大品目が定着した。特に1969年に発売した「ミニバーグ(現 ミニハンバーグ)」は、「お弁 冷凍食品を広めるには、まずイメージを刷新し、正しい調理法を周知する必要があった。「冷凍はおいしい」を広めるため、担当社員が自ら銭湯など人が多く集まる場所でデモンストレーションを行うなど地道な普及活動を続けるとともに、消費者の生の声に触れ、商品開発に役立てていった。 このような中で、冷凍食品が最初に力を発揮したのが学校給食だった。お腹を空かせた子どもたちに良質なタンパク質を届けたいという思いで開発した魚のフライ「三色スチック」は、たちまち給食の人気メニューになった。これと並んで人気だったのが、シューマイだった。子どもたちに喜んでもらいたいという、当時の開発者がイチゴのショートケーキをイメージしてシューマイにグリンピースをのせた。おいしくて栄養があり、短時間で均一に大量調理できる冷凍食品は、調理場でも重宝された。1960年代の給食風景 1956年には第一次南極観測隊に69種、約20tの冷凍食材を提供した。それまでメインの食材だった缶詰、塩蔵品、干物に代わり、冷凍素材を使ったメニューやお寿司セット、天ぷらセット、茶碗むしなどの冷凍食品で南極観測隊を食事の面で支えた。177636465666768697071727374757677787980冷凍食材は南極の「天然の冷凍庫」に蓄えられた事業編818283(年度)

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