ニチレイ75年史
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■米国でのアジアンフード市場に照準 2012年6月、ニチレイフーズはグローバル戦略の一環として、イノバジアン・クイジーン社(InnovAsian Cuisine Enterprises Inc./米国ワシントン州)の発行済株式の51%を取得した。同社は米国でアジアンフード※6 の冷凍食品を、量販店を中心に家庭用商品や業務用商品として販売。主力のアジアンフードは、健康志向市場だけでなく、一般市場にも広がりを見せており、米国冷凍食品市場の中でも成長が著しいカテゴリーとなっていた。 同社では米国人スタッフによる米国市場向けのマーケティングや商品開発を行っており、西海岸から始まった販売も米国全土に広がっていた。ここにニチレイフーズの技術力・商品開発力が加わることで、拡大する北米市場でアジアンフードのトップブランドを目指すこととした。■アセロラ飲料事業をサントリー食品に譲渡 当社は2009年7月開催の取締役会で、ニチレイフーズが日本国内におけるアセロラ飲料事業(原料供給および業務用製品生産販売を除く)をサントリー食品株式会社に譲渡することを承認した。 アセロラ飲料事業は、大手量販店やコンビニエンスストアでの販売比率が高い商品だが、こうした販路を確保するためには研究開発、広告展開、販売促進策の実施など多くの経営資源の投入が必要となる。しかし、ニチレイフーズはアセロラ単品の取り扱いであるため、単独では飲料市場の競争が激化する中、これ以上の事業展開は困難との認識に至った。ハウを蓄積し、安全・安心で良質な農産加工品の安定調達と付加価値の高い商品の開発・生産を可能とした。 将来的には日本への販売にとどまらず、中国国内や第三国への販売を視野に入れた事業展開を目指すものだった。123※6 チキン、米飯、中華総菜などアジア系料理を米国市場向けに発展させた料理カテゴリー。※7 2016年、ニチレイフーズがニチレイスーコの事業を吸収した。第8章 世界同時不況・食への信頼失墜・東日本大震災からの回復ニチレイスーコベトナム5. アセロラ事業の変遷■ニチレイスーコの設立 ~アセロラ原料の生産機能を分社化 2008(平成20)年6月、ニチレイフーズはアセロラ果汁の調達・販売子会社として株式会社ニチレイスーコを設立※7 した。 ニチレイフーズにおけるアセロラ果汁原料事業は、ブラジルとベトナムに生産・供給拠点を置いていた。ブラジルでは同社の子会社であるNichirei do Brasil Agricola Ltda.(以下、NIAGRO)が生産・供給の役割を担うとともに、ベトナムでは同社が産地・加工工場を直接指導する体制のもと、日本および欧州を中心に販売を行っていた。2007年度はNIAGROに果汁濃縮設備を導入し生産能力を増強するとともに、海外原料販売を拡大するための営業体制の整備を進めた。 ニチレイスーコは国内、アジア・オセアニアの果汁原料販売体制の拡充とともに、果汁原料事業における世界戦略を企画・推進していくこととした。■ベトナムにニチレイ-HPC有限責任会社を設立 アセロラ原料事業をグローバルに展開するニチレイスーコは、2011年8月、ベトナムのパートナー、Hiep Phat(ヒップファット社)の創業者である、Lam Dang Trung(ラム・ダン・チュン)氏との共同出資により、アセロラ栽培研究を目的とする「ニチレイ‐HPC有限責任会社」を設立した。また2012年3月には政府科学工芸省より研究所ライセンスを取得し、同年5月、研究農園と研究棟が開業した。 研究農園はベトナム南部メコンデルタのティエンザン省で、フランス植民地時代の100年ほど前、原産地であるフランス領カリブ諸島からアセロラ原木が導入された地域にある。アセロラは原料として日本に輸入されているが、中長期的な視点から「育種研究」「栽培指導」「品質管理」を目的とする栽培研究所を設立した。ブラジルにおけるNIAGRO研究農園と同様、地域社会に溶け込み、収穫量・輸出量の拡大を図りながら、農家の栽培技術向上を支援し、地元農業の振興に貢献することとした。

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