ニチレイ75年史
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■ユキワの分離~卸売事業から撤退 2003年10月、当社の連結子会社である株式会社ユキワと、株式会社菱食から分社された株式会社リョーショクフードサービスが合併し、株式会社アールワイフードサービスが設立された。 この合併により、①多様化する食のニーズを的確に捉えた高付加価値商品の開発と提供、②規模の拡大によるコスト競争力と経営基盤の強化、③NEW-TOMAS※12 の高度利用による、高品質なサービスおよび情報の提供、④ローコストなロジスティクス機能の強化によるSCM(サプライチェーン・マネジメント)の推進、などの効果が見込まれた。 なお、合併に伴って当社の持ち分は40%となり、新会社は当社の持分法適用関連会社となったが、2006年9月、同社の株式を三菱商事に売却し、コア事業ではない中間卸売事業からは撤退した。■京都ホテルをめぐる経緯 当社の関連会社である株式会社京都ホテルについては、2001年に株式会社ホテルオークラとともに第三者割当同で、抗体医薬の製造・開発の受託会社、株式会社パシフィックバイオロジックス(略称PBI)を設立した。同社は抗体医薬の治験薬製造受託が主な業務となるが、この種の会社は日本では初めての設立となった。 世界のバイオ医薬は、ヒト型モノクローナル抗体(抗体医薬)の開発が中心となっており、日本でも臨床試験の段階に入ってきた。しかし、日本でこうした医薬品を開発している会社の多くは治験薬を作る大型の細胞培養施設を持たず、その製造の多くを海外の細胞培養会社に委託しており、かつ海外の受託会社の対応能力も限界に近付いている状況だった。 東洋紡績は、600リットルの培養設備を大津医薬工場に備え、バイオ医薬品の製造・開発の受託を行っていたが、設備が小規模なため、抗体医薬メーカーの製造ニーズに十分対応しきれなかった。 当社は、細胞培養用培地の輸入販売を行っており、近年の抗体医薬開発ブームの中で、国内医薬メーカーへの販売を強化してきたが、営業活動の過程で、医薬メーカーの旺盛な委託ニーズと国内外における治験薬製造設備の供給不足を実感していた。 こうした経緯から、それぞれの保有する製造設備と優れた技術、国内医薬メーカーへのマーケティングを生かした抗体医薬の製造・開発受託事業を新たなビジネスチャンスと捉えた。両社は、東洋紡績大津医薬工場内にFDA(米国食品医薬品局)のcGMP(医薬品の製造に関わる基準)に対応できる4,000リットルの培養・精製設備を新設し、今後さらなる増加が予想される抗体医薬の治験薬製造に応えていくこととした。 しかしながら、期待ほど両社の相乗効果が発揮できず、2003年度、合弁解消に至った。の厳しい競争の渦中にあり、ITを活用した高度な情報システムが競争力の源泉として不可欠となっていた。しかし、情報システムの技術進歩は速く、すぐに陳腐化しかねない一面を持っている。そのため当社は、グループの情報システム部門が、最先端の情報技術を持つ日立との合弁事業を展開することで、より高度で専門性を発揮したシステムエンジニアリングサービスやアウトソーシングを提供できるようになると判断した。また、経営効率化・コスト削減効果につながるものと期待した。 新会社では、当社が培ってきた食品・低温物流関連の情報システムに関する先進的かつ実践的なノウハウや人材、情報処理関連技術を基盤として、日立の食品業界向けシステム部門のさまざまな業種ノウハウ、システム構築力、およびITインフラとの相乗効果により、当社向けのアウトソーシングを運営する。同時に情報処理業務のアウトソーシングサービス、ソフトウエアの開発・販売ならびにコンサルティングなどの情報システム構築・運用サービス事業に取り組み、食品・低温物流業界の企業向けのソリューション事業を積極的に展開していくこととなった。113※12 菱食の基幹情報システムで、ユキワは菱食および三菱商事から資本参加を受け業務提携した1999年に導入済み。第7章 激しい環境変化に持株会社体制で対応■情報システム部門の分離~日立製作所と 共同でアウトソーシング事業会社を設立 2003年1月、当社は株式会社日立製作所(以下、日立)と共同で株式会社日立フーズ&ロジスティクスシステムズ(出資比率は日立51%、当社49%)を設立するとともに、両グループの企業レベルでの連携をさらに深めることとした。 当社が事業を展開する食品・低温物流業界は世界規模

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