ニチレイ75年史
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■冷凍食品売上高1,000億円の大台を達成 生産面では、1972年に吹田食品工場を廃して船橋・高槻食品工場を本社直轄としていた。78年には焼津・博多食品工場も含めて冷凍食品部の直轄事業所とし、生産アイテムを集約して生産効率の向上を図った。さらに88年の米飯ライン中心の船橋食品工場新工場の稼働、92年の高槻食品工場新工場の稼働で生産力は大幅拡充された。 当社は開発・生産・販売体制を整備強化して冷凍食品の売上高を伸長させた。1987年度は前年度を一挙に25%近く上回る640億8,000万円となり、93年度は1,024億7,600万円と1,000億円を超えて当社全売上高の26%強を占めるに■レトルト食品の成長とラインナップ拡充 常温食品では当社は1982年に市販用のレトルト食品市場に本格参入したが、POSデータによる管理が進むと商品の改廃が一層厳しくなり、壁は厚かった。そこに1993年頃、01995年サクコロッケ」を発売した※42 。大ヒット※43 により年間の単品売上高は60億円に達し、市販用冷凍食品の販売数を大きく伸ばした。 当社はレンジ調理対応商品を増やし、また当社の成功から他社も追随した。電子レンジを調理器具として活用するという調理方法の普及が消費者の冷凍食品需要を喚起し、市場を拡大させた。調理時間の大幅な短縮は、共働き世帯の増加など生活スタイルの変化にも影響をあたえることになった。 一方で業務用商品は経時変化が課題だった。春巻も惣菜ルートの売れ筋の一つだったが、家庭に持ち帰って喫食するまでに外皮が柔らかくなってしまう。当社はこれをクリアし、1994年の業務用「パリパリの春巻」はヒットした。その成功を受け、翌95年には家庭用でも「パリパリの春巻(ミニ)」を発売、これもヒット商品となった。サクサクコロッケ(ミニ)牛肉第2部柱として育ったのが「ふかひれスープ」である。当社のふかひれスープは缶詰ギフトとして評価が高かったが、89年にレトルトの中華スープ「Soup Town」シリーズを発売すると、95年には年間10億円近い商材に成長した。 ほかにもレトルト食品のラインナップ拡充は進んだ。1992年発売の「博多風牛もつ鍋(しょうゆ味)」は折からのもつ鍋ブームにも乗り、市販用・業務用ともヒットした。また1988年の「スリマーグルメ」はコンセプトが明確な商品※44 だった。当初の企画は成功しなかったが、事業開発部による糖尿病食へとつながり、その後のカロリーコントロール商品や健康事業の源流となった。 そして、当社の常温食品のメインはカレーである。競合が激しい市販用市場での生き残りは厳しいが、業務用では以前から一定のシェアを得てきた。平成に入ってもギフト商材の高級カレー缶詰やレトルトカレーのほか、スキー場や行楽地のレストラン向けカレー(大型缶詰・レトルト)が好調だった。Soup Townシリーズのふかひれスープ82(万世帯)1,3001,2001,1001,000900800700600500電子レンジの普及率:内閣府「消費動向調査」(主要耐久消費財等の普及率)、共働き世帯数:総務省「労働力調査特別調査」(2001年以前)のデータを基にグラフを作成※42 製法については特許を取得した。バッター液でフライの具を被膜した後、液状油脂を吸収させたドライパン粉を一次パン粉として付着させる工程と、これにバッター液を被膜して二次パン粉を付着させる工程との少なくとも2工程を行うことで、加熱処理後にフライ類から水分が出てもフライ類の表面はベタつかず、コロモがサクサクして、かつソフトな食感を有することができるなどの効果が得られる。共働き世帯(左軸)電子レンジ普及率(右軸)1980年1985年1990年(%)10080604020共働き世帯の増加と電子レンジの普及の増加パリパリの春巻(ミニ)※43 発売1カ月後には生産ラインを増やした。※44 1日の摂取量1,200キロカロリーを基準として50種を超える商材を揃え、これらの組み合わせによる2週間分のメニュー表とセットで販売。博多風牛もつ鍋

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