ニチレイ75年史
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■共同配送事業 共配事業の模索が続く1990年4月、規模は小さかったがシステム物流のチームを開発部から独立させ、冷凍事業本部の中に物流事業部を設置した。共同配送のノウハウが蓄積されてきた頃、大手Fスーパーとの取り組みが始まった。地域特性がある生鮮食品に関してエリア販売を目指すFスーパーは、チルドとフローズンの配送センターの見直しをしていた。当社とFスーパーはすべてのコストをオープンにしあう信頼関係を築き、議論しながら双方のメリットを生むシステムを追求していった。こうして1993年、Fスーパー向けの船橋総合物流センターと、Cスーパーの尼崎総合物流センターが稼働を開始した。 念願だった大手からの2件の受託成功で95年に物流事業部は単年度黒字に転換し、同年、物流事業部は発展的に解消して低温物流事業部に統合された。品先の店舗でも受け入れに要する労力削減が見込まれるほか、排ガス削減など環境保全上のメリットも多かった。「ジャスト・イン・タイム(JIT)※32 」をベースとした多頻度小ロット配送への対応も可能とした。入する商業的事業、②海外で生産して日本で販売する事業、③海外市場に向けた生産販売事業、④欧州での低温物流事業、の4つだった。 オーストラリアに関しては1968年、南半球最大の果実缶詰会社・エスピーシー社(1917年創業)と日本向け販売の総代理店契約を締結し、1969年から缶詰の輸入販売を開始。72年にはメルボルン駐在員事務所を設置、水産物・果実缶詰・肉などを輸入した。84年に「ニチレイ・オーストラリア」を設立すると、同駐在員事務所の業務を引き継ぎ、当社の冷凍食品を現地販売した。 米国事業の主軸は「ニチレイ・アメリカ」(ワシントン州シアトル)であった。当社は米国の農・畜・水産物を日本に輸出する一方、日本の加工食品を米国内で販売するために1979年に同社を設立、シアトル駐在員事務所の業務を移管した。同社は84年にゴールデンイーグル社と合弁で「サンハスカー・フーズ」(ネブラスカ州リンカーン)を設立、焼きとりの生産とともに当社冷凍食品の輸入販売を始めた。さらにニチレイ・アメリカは87年にカニ風味かまぼこ(カニカマ)を生産する「アメリカ・ニチレイ食品」(ワシントン州ファイフ)を設立した。 さらに1988年8月、M&Aの支援目的で資金調達・運用会社「ニチレイ・ファイナンス・USA」(デラウェア州ドーバー)を設立。同年9月、貝類の加工・販売を営む「シーウォッチ・インターナショナル」(デラウェア州ミルフォード)を買収した。M&Aの態勢が整ってきたニチレイ・アメリカは、翌89(平成元)年1月にビーフジャーキーを生産・販売する「テング」(カリフォルニア州ロサンゼルス)、同年11月にはカニ風味かまぼこの大手販売会社「ベレルソン」(同州サンフランシスコ)と大型買収を続けた。 この頃、米国内の関係会社は9社に増えたため、当社は同年12月、これらの統括管理会社として「ニチレイ・フーズ」(ワシントン州シアトル)を設置した。そして「ニチレイ・ファイナンス・USA」「シーウォッチ・インターナショナル」をその傘下に置くと、翌90年に「ニチレイ・アメリカ」「ニチレイ・インターナショナル※34 」「ニチレイ・フロリダ※35 」の各社をニチレイ・フーズに合併させ、買い付け・生産・販売・輸出入の一貫業務を担う会社とした。なおニチレイ・フー79※32 必要なものを必要な量だけ必要なときに調達する方法。鮮度重視の流通業界に広がった。※33 globalization。人やモノ、経済や文化が国家の境を越えて地球規模で変化を起こすこと。※34 ニュージャージー州に設けた水産物の輸出入会社。ニューヨーク駐在員事務所の業務を移管。※35 セントマーチンでマグロ事業を行うニチレイ・カリブ(旧 クラサオ開発)の子会社。第5章 新生ニチレイへ11. グローバリゼーション※33 戦略を推進■輸入主体の展開 当社はマグロなどの輸出に注力してきたが、日本国内の食料事情により輸入が主体となっていった。水産事業にとって輸入は商材調達の重要な手段で、食品事業でも1963(昭和38)年にオーストラリア・エッジェル社から冷凍グリーンピースを初輸入した。74年に米国シアトルに駐在員事務所を設置すると、エリー湖産スメルト(干しシシャモの原料)、凍菜3品(コーン、グリーンピース、ミックスベジタブル)、アラスカ州で加工生産したタラバガニや筋子、サケなど、多くの商材を輸入した。■米国とオーストラリアでの事業展開 当社が目指した海外事業の領域は、①商材を日本に輸

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