ニチレイ75年史
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■「システム物流」の試行 「システム物流」はより根本的な事業モデルの変革を目指した。長期の在庫による保管ではなく、短期間で仕分け・配送を行うことにより、資本回転率を上げようという構想だった。 システム物流の構想は「明日のニチレイ」から始まったが、当初は保管を否定していたわけではなく、保管在庫からピッキングして輸配送する想定だった。まず1984年に関西のAボランタリーチェーン※30 でテストを開始し、1980年代後半にはB居酒屋チェーン、大手Cスーパー、東京のD・Eのボランタリーチェーンと取り組みを広げたが、業績は伴わず試行錯誤が続いた。 保管型と対比すると、システム物流は「通過型」として提案された。事業ノウハウは未だ充分でなく、社内外の反応も懐疑的だった。保管業務が大きな利益を安定して生み出していた当時、通過型事業の取り組みは冒険でもあった。 しかし時代が追い風となった。1989年のサミットでは地球環境問題が中心的な課題の一つとなった。自動車の排ガス※31 による大気汚染や振動・騒音が問題となり、交通渋滞や燃油削減も課題となった。各メーカーが別々にスーパーの各店舗に納品すれば、それだけトラックの台数を要するが、配送センターから共同配送すれば車両の削減、走行距離の短縮は明白で、各メーカーの負担減に加え、納 当社は“ロジスティクス”というコンセプトを新たに打ち出した。そして「工場」と称した冷蔵倉庫を、1990年4月に「物流サービスセンター(Logistics Service Center=LSC)」に改称した。 一方で、当社は機械化・情報化にも早くから取り組んだ。1978(昭和53)年には冷蔵事務電算オンラインシステムを構築、79年に業界初の立体自動冷蔵倉庫を高槻に建設した。86年には船橋物流センターと荷主間をオンラインで結び、スーパーマーケットのPOS(Point Of Sale、販売時点情報管理)情報をメーカーに取り次ぐなど、流通の近代化に貢献した。 1991年4月に冷凍部門を「低温物流」部門に改め、95年には冷凍支社を「低温物流支社」に改称した。輸配送ニーズに応じて(株)日本低温流通の体制も整えた。「荷物を冷凍保管する工場」から「冷凍保管を軸とする物流業務を行うサービスセンター」へと発想を転換し、新たな成長路線へ踏み出した。配送コストが高い/荷受作業が煩雑TCを介した一括納品の導入により、配送ルートを最適化。物流コストの低減と届け先での荷受作業の効率化を実現した。第2部は回転台、回転棚。78ベンダー(A)ベンダー(B)ベンダー(C)小売店A小売店B小売店C設立して体制を整えた。 NTRは1990年4月、日本低温流通・関東、同・関西、同・九州を吸収合併して、全国組織の会社になった。NTRはトラックを自社保有せず、車両を持つ協力会社を束ねて傭車※29 で輸配送事業を運営する形だった。配送コストが低減/荷受作業が効率化ベンダー(A)導入後ベンダー(B)ベンダー(C)TC小売店A小売店B小売店CTC(Transfer Center)機能のメリット※28 ラックが回転して入出庫作業を容易にする自動倉庫。カルーセル(carousel)※29 傭兵と車を組み合わせた物流業界の造語で、下請け業者に運送を委託する。※30 独立した小売業者が連携し、商標使用・仕入れ・物流などを共同化する流通業態。※31 排ガス中の有害物質が問題となり、1973年以降、規制が毎年強化されていた。column輸配送事業と日本低温流通の歩み 輸配送の取り組みは1977年3月、大阪低温急送(株)の設立に始まる。82年に設立した東京低温急送(株)(のちの東京低温流通(株))は、84年にはカルーセル式自動機能※28 を持つ船橋物流センターを当社から借りて物流型冷蔵倉庫の運営も開始した。当社が冷凍から低温物流へと向かう頃、冷凍トラックによる全国輸配送体制を確立した。86年8月に(株)日本低温流通(通称:NTR)を設立。東京低温流通(株)と大阪低温急送(株)(その後(株)日本低温流通・関東、(株)日本低温流通・関西に改称)を傘下に収め、(株)日本低温流通・九州も

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