ニチレイ75年史
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■「物流プロジェクト」の2つの答申 1980年代後半、商事部門、特に冷凍食品部門が新たな物流の必要性を感じる中、1989(平成元)年、「物流プロジェクト」が発足した。冷凍事業の系列子会社である株式会社日本低温流通、開発部、商事部門で物流委員会を組織し、新しい冷凍事業のあり方を総点検した。議論を重ねた末に導きだされた方向性は「顧客密着対応(顧客創造提案)型」、「システム物流」の2つだった。 顧客密着対応とは冷凍事業の本流、川上型で、輸入貨物の増加や堅調な保管需要を背景に周辺業務の拡大・深耕で荷主ニーズの多様化に応えるものだった。もう一つが川下型のシステム物流で、スーパーなどの流通業界で高まる需要を背景に、ストレージ(保管)ではなくトランスファー(移動)の視点で新しい物流を構築しようとする方向性だった。■ポマトの開発とフラワービジネスへの進出 同じバイオ事業でも、動物系と比べて育種などに一段と長期的視点が必要な植物系は総合研究所が開発を担った。植物系バイオではポテトとトマトを細胞融合させるポマトの研究で有名なメルヒャース博士(西ドイツ)を招聘し、1984年5月、研究所内に株式会社アグロジェネティック(AGC)を設立した。細胞融合を用いた耐寒性トマトの開発が目的だったが、研究過程で細胞質雄性不稔トマト※22 を世界で初めて人工的に作り出し(1998年特許取得)、90年頃には耐寒性トマトから雄性不稔トマトへと研究内容がシフトした。雄性不稔化は品種改良の際に別の株との交配を容易にするため、現在多くの作物で雄性不稔系統が遺伝資源として保存されている※23 。 ポマトの開発で得たもう一つの成果は成長細胞の培養技術を生かした洋ラン※24 事業で、これは事業開発部が担当した。カトレアやシンビジウムが有名だが、当社は主にオドントグロッサム(彗星蘭)を手がけた。フラワービジネスが流行する中、当社は宇都宮に大型温室を建設。メリクロン(茎頂培養)技術※25 でオドントグロッサムの無菌・均質の増殖育苗に取り組み、のちのフラワー事業へとつなげた。 このように、当社は培地・血清からモノクローナル抗体、化粧品原料、フラワーへとバイオ事業の領域を広げてきた。健康や美容の分野で、プラセンタエキスなどのシーズとバイオ技術を生かし、ニッチながらも社会に貢献する医療関連事業を目指して基盤固めに全力を注いだ。77※22 一つの花に雄しべと雌しべを持ち、雄しべが受粉機能を喪失した現象。日本初は1925年のタマネギ。※23 1995年にはトキタ種苗とミニトマト「チェリーゴールド」を共同開発、高糖度※24 形が特徴的な観賞用の花で、栽培が難しい。熱帯発祥だが欧米経由で伝来しで結実も多かった。たためこの名がある。診断薬オドントグロッサム※25 生長点から切り取った微少片を培養して洋ランをウイルスフリーで大量増殖させる方法。※26 トラックが接車して荷物の積み下ろしをする場所。船舶が接岸する岸壁※27 軽加工は包装・ラベル貼り・小分け・アソートなど。通関は税関に申告して輸(バース)から転じた。入許可を得る手続き。第5章 新生ニチレイへ■「冷凍工場」から「物流サービスセンター」へ  それまで冷蔵倉庫は、コンテナ単位で輸入した水産・畜産物など大量の貨物を一定期間保管して出庫する保管型倉庫が主だった。しかしニーズの変化で入出庫や輸配送の頻度が増えるに従い、L字型プラットホームでバース※26 の数を増やしたり荷捌き場やトラックヤードを拡張してきた。保管を軸としつつ、その周辺業務※27 (急速凍結、解凍、軽加工、通関、輸配送などの業務、さらにオンライン化による情報の管理・活用)を付加価値として、他社との差別化を図った。これが総合低温物流サービス(トータル・ロジスティクス・クリエーション)で、1990年4月竣工の船橋第二物流サービスセンターが代表例だった。10. 新たな低温物流事業への チャレンジ

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