高校生の時に新聞部の仲間と食べたカツライス、アルバイトの初任給で食べたスパゲッティナポリタン、浅草で伯父にご馳走してもらったチャーハン。どの味も思い出深いものがある。なぜなら、食べた料理は私の人生と結びついていて、その時の思い出を鮮明に蘇らせてくれるからだ。その中でも、忘れられない味は? と聞かれたら、思い浮かぶのは報道カメラマンとしてアメリカ軍、南ベトナム政府軍に同行取材をしていたベトナム時代に食べた料理だろう。
ベトナムに渡るまで数年間、私は毎日映画社で働いていた。まだ駆け出しだったので、食事といえば外よりも安い社員食堂で食べる一杯17円のそば。それさえ、同僚と1円、2円を貸し借りしながらすすりあい、とにかく食が貧しかったことを覚えている。
そんな時にベトナム戦争の取材でベトナムへ渡ると、驚かされたのが食の豊かさだった。店に入ると、厚さ3cmぐらいはある分厚いメニューが出てきて、ベトナム料理をはじめ、フレンチ、中華など、百数種類以上もの料理が用意されているのだ。それらが食べられるのかと思うと、夢のような気分だった。
数ある中でも、私を虜(とりこ)にしたのは「クア・ラン・ムイ」と呼ばれるマングローブ蟹をぶつ切りにし、魚醤(ヌクマム)、胡椒(こしょう)で炒めたベトナム料理と「オニオングラタンスープ」だ。どちらも味はもちろんのこと、何よりもボリュームの凄さに感動した。たとえば、「オニオングラタンスープ」はどんぶりのような器で出てくるから、それだけで空腹感が満たされてしまうほどだ。それにもかかわらず、とても安い。日本では20円そこそこの料理でさえ食べることに四苦八苦していた私でも、ベトナムでは時には人にご馳走できるほどで、なんだか一人前になった気がしてしまった。
「クア・ラン・ムイ」や「オニオングラタンスープ」に思い入れがある理由は、もう一つある。それはベトナムで知り合った7人の仲間たちとよく食べた料理だったからだ。彼らは農業従事者や技術者、商社マン、大使館職員など、私とは違う目的でベトナムに来ていた。夜になると戒厳令が出されたので、そんな彼らとベトナム料理を酒の肴に部屋にこもって麻雀をしたり、夢を語り合うのだった。まだ今のように簡単に海外に行くことができなかった時代に、高い志をもって日本を飛び出した同世代の仲間たちと夢を話すことは、とても刺激的で励みでもあった。そして、つかの間だが、戦場という過酷な現場で写真を撮る緊張感から解放されるかけがえのない時間だった。
彼らとは今でも交流があり、久しぶりに会うと決まって「クア・ラン・ムイ」や「オニオングラタンスープ」を食べた話で盛り上がる。残念ながら、今のベトナムでは当時と同じ味や量で食べることはできない。しかし、私たちにとってはいつまでも青春時代のたくさんの思い出がつまった料理であり続けるのだ。(談)
| 石川文洋(いしかわ・ぶんよう)
1938年沖縄県那覇市生まれ。65年1月から68年12月までベトナムに滞在し、アメリカ軍、南ベトナム政府軍に同行取材を行う。帰国後は朝日新聞のカメラマンを経て、84年からフリーの報道カメラマンとして活躍。日本写真協会年度賞、JCJ特別賞などを受賞。好きな食べ物は、うなぎと日本そば。著書も多く『死んだらいけない』『日本縦断 徒歩の旅』『ベトナム 戦争と平和』などがある。 公式ホームページ http://www6.plala.or.jp/zassoan/ |
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