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【くらしの中の氷 その1】 氷の旗っていつからあるの?

夏の風物詩のような氷旗って、いつごろからあるのかご存知ですか。事始め辞典に氷利用の歴史は書かれていても、氷旗について具体的には記されてこなかったようです。

かき氷を誰もが口にすることができるようになったのは、明治維新がきっかけでした。幕末、欧米の商人たちは、ボストン産の天然氷をアジア諸国に運び巨利を得ていました。洋食文化導入に貢献した中川嘉兵衛という人が、医療用主体の高価だった氷に目をつけ、日本国内で天然氷を切り出し、江戸(東京)に運ぶ商売を思いつきます。何度も失敗を重ね、ついに明治2年(いくつかの説があります)、函館五稜郭外壕周辺の氷池から氷を切り出し、東京に運ぶことに成功します。

以降、文明開化にわく日本中に、「函館氷」の名前でカキ氷ブームが起こったのです。東京・横浜・京阪神に、氷を貯蔵する氷室(ひむろ)が建てられ、氷販売会社が設立されます。当時の新聞に載った氷売り出し広告や記事のなかに、函館氷や氷販売業者の名前を記した「氷」と大書きしたノボリや看板が登場します。明治7、8年のころには、氷のブロックを小売したり、カキ氷を売る氷屋の店舗や屋台が町内に何軒も出現し、店先に氷の旗や看板が掲げられるようになりました。

氷旗のデザインには、江戸時代、夏になると「ヒャッコイヒャッコイ」と売り歩いた「冷水(ひやみず)売り」の屋台や衣装に使われた絵柄が取り入れられ、青と無地の市松模様や波模様が「氷」の一字を引き立たせ、涼しげなイメージをつくり出しました。

明治初期の氷旗
(皆川重男コレクションより皆川宣夫氏所蔵資料)

 

氷旗にはもうひとつ、氷の衛生面の安全を消費者に知らせる役目もありました。

天然氷の普及とともに粗悪氷も混じるようになり、当時市中の衛生安全面を取り締まった警察行政は、明治11年「氷製造人並(ならびに)販売人取締規則」を発令します。生産地・製造者・販売者名を明示した看板やノボリを立てるように義務づけたのです。この規則遵守を示すために「官許氷」の文字が氷旗に描かれました。明治30年代を境に機械製氷が普及し、天然氷が駆逐され、やがて氷旗から「官許」の文字も消え、現在の氷旗のデザインが定着します。

明治維新とともに日本中に沸き起こったベンチャー企業のひとつ、それが氷ビジネスだったのです。ニチレイは、旧社名「日本冷蔵」に示すように、こうした冷蔵倉庫業者の統合によって生まれた会社です。四半世紀前までは、初夏になると、赤や青字に白くニチレイの旧社名「日本冷蔵」の文字が染め抜かれた氷旗が街のあちこちで見られたものです。

氷旗ひとつにも、現代の食生活に欠かせなくなった冷蔵・冷凍技術を利用した食文化の歴史が潜んでいるのですね。

< 文:フリーライター 中島満(まな出版企画) >

>次のお話(天然氷の味の秘密は水にあり)を読む。

その2
天然氷の味の秘密は水にあり
その3
花氷や飾氷っていつからあるの?
その4
氷あそびと春をまつ歌

【「日本と世界の氷のはなし」制作にあたって】

引用文献:「氷の文化史」田口哲也著 冷凍食品新聞社、「シーザーの晩餐」塚田孝雄著
時事通信社
資料提供:
皆川重男コレクションより皆川宣夫氏、桑野貢三氏、細島雅代氏、越桐弘夫氏、香取洋一氏
東京国立博物館、横浜開港資料館、株式会社ニチレイ・ロジスティクス関西
協力:田口哲也氏、中島満氏、株式会社ニチレイ・アイス
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