ニチレイ75年史
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当社事項業界・一般事項4.—冷凍エビの輸入が自由化され、中国産大正エビを販売5.—船橋で学校給食用冷凍食品(フィッシュボール等)を生産開6.1林検次と共同でニチレイエコーを設立(出資比率66.7%)、東京・銀座でスナックレストランを経営6.—船橋に飼料工場を新設、日冷農産工業に賃貸7.10東京・青山に料理教室を開設(1977年に閉鎖)、1階に日冷スター販売が「日冷スターショップ」を開店7.27東洋工機の全株式を取得7.—インスタントコーヒー(英・J.ライオンズ社製)を輸入販売(販売不振で1962年春販売中止)10.—粉末ジュース「ロボッタン」を発売11.1志賀高原ロッジを開設(1996年改築)12.13千葉畜産工業に出資、ハム・ソーセージの生産と屠畜事業を開始12.—裏磐梯観光開発の全株式を取得12.—茅ヶ崎にチョコレート工場を新設、アングロ・スイスチョコレート工業に賃貸この年製氷の販売数量が年間131万9,000tでピークを迎えるこの年缶詰の販売数量が年間240万ケースでピークを迎えるこの年遠洋漁業の船内凍結魚が増え、普及販売に努める1.8西ドイツからアセテートフィルムの生産技術を導入1.31大阪イソフレックス工場を廃止(東京同工場は10月廃止)3.—濃縮瓶詰ジュース「ルーキー」、缶詰ジュース(オレンジ)を発売3.—調理缶詰(カレー、ミートソース、クジラオイル焼等)を発売4.2「卵の加工法」が科学技術庁長官から注目発明に選定される6.30関東1都6県の販売店を対象に「日冷スター会」を結成7.19魚肉の「V型ソーセージ」「デラックスハム」を発売7.19「アイスフルーツ(イチゴ・ミカン・夏ミカン・パイナップル)」「ロボッタンアイス」を発売7.—東京駅八重洲口のビアガーデンに冷凍食品(えだまめ、そらまめ、スイートコーン、サンドウィッチ)と電子レンジ2台を納品11.1ツナ・プロダクト社の経営をデュレニー・インダストリー社に譲渡12.1研究所を東村山へ移転、東京研究所に改称(研究所等が入居していた本社明石町分室跡地を佃大橋建設のため売却)12.27北洋水産の日本水産系列入りで当社向けフィッシュソリュブルの供給減少この年電気冷蔵庫の普及で陸氷の需要が減り冷蔵収入が製氷を上回るこの年過当販売競争による乱売等で缶詰の業績悪化1.19昭和炭酸、昭和電工、日本硝子等と共同で山陽飲料(後の山陽コカ・コーラボトリング)を設立(出資比率30%)2.1鎌ケ谷試験所を特産部所管の鎌ケ谷畜産試験所と東京研究所鎌ケ谷分室に分割2.1海幸漁業が新洋漁業に社名変更(崎吉漁業、葵漁業を吸収)5.13蘭領クラサオ島にクラサオ開発(後のニチレイ・カリブ)を設立、蘭領セントマーチン島でマグロの基地事業を開始6.—スペイン領ラスパルマスに駐在員を派遣、マグロを中継輸出始1.—岩戸景気が終了し、転型期不況始まる2.—農林省が「ジュース」を「天然果汁」と改称3.  6日米、GATT関税取決め調印6.29農林省が魚肉ハム・ソーセージJASマーク工場を指定9.30公海に関する条約発効(日本は1968年6月10日に加入書寄託、7月10日に発効)10.1果実缶詰・鯨肉等の輸入自由化10.22ケネディ米大統領が海上封鎖を声明(キューバ危機)11.—オリンピック景気始まる(~1964年10月)12.—JAS協会が発足この年スーパーマーケットが2,700店に急増2.20日本、GATT11条国への移行をGATT理事会にて表明7.15名神高速道路開通(尼崎・栗東間)8.5日豪通商協定調印10.26日本初の原子力発電に成功11.9日中民間漁業協定調印11.23日米間テレビ宇宙中継に成功(ケネディ大統領暗殺のニュースを受信)2561962(昭和37)年1963(昭和38)年

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